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戒名って?

 仏式でお葬式をするときにつけてもらう、それが戒名と思われているようだが実は違う。 「現代風に云うと、極楽行きのパスポートが戒名だ」。これは少しは的を射ているかもしれない。

 実をいうと、戒名は生きているうちにもらうのが本来である。仏門に入る時につけてもらう―すなわち、これまでの自分と訣別をして心新たに釈尊の弟子として生きていく時に授かる名前なのである。 カトリック教会や正教会でいうと「修道名」であろうか。

 仏式のお葬式での場合、ほとんどの人が生前に戒名を授かっていないので、お通夜の「枕経(まくらぎょう)」の時に出家の儀式をし、その時にこれからは仏弟子として行きなさいと戒名を授ける。正式な作法としては、亡くなった仏様の頭髪にお剃刀を当て、剃髪(ていはつ:髪を剃り下ろす)の所作を行い、その後に戒名を授けるという形を取る。

 ではなぜ「戒名は高い」と思われるようになったのだろうか。それはお寺と檀家さんとのふだんのお付き合いという関係が薄れてきたためである。かつては正月にご先祖が守られているお寺に新年のおご挨拶に行き、お彼岸には先祖供養の墓参りに参じ、お盆には‥と、そのお付き合いは現在よりも濃密であった。寺に参れば寺庭の掃除を手伝ったり、少しの土産を携えたり、本尊に「ご本尊前」とお布施を包んだりする檀家さんがあるからこそ、寺は維持存続できるというコミュニティの基盤がしっかりとあった。

 それに対して、現代では誰かが亡くなって慌ててお寺を紹介してもらいお葬式と戒名をお願いする。そうすると、ずっとお付き合いをして来た檀家さんが、それまでお寺に注いだ作務(作業)やお布施とバランスが取れないので、お金で補ってもらうということになるわけである。 かといって、本来金額が決まっているわけでもない。 実家の寺にいたころに、いろいろな御宅に伺いお経をあげたが、いくつもの会社を経営して毎年海外旅行にも行く檀家さんの包んでくださる数万円と、年金だけで細々と生活している独り暮らしのおばあさんが包んでくださる数千円と、どちらに心がこもっているかは比べられるものではない。

 「志」というのが本来の在り方ではあろう。しかし、最近では料金表を提示するお坊さんがあったり、ネットでも額を明示している方が安心されるとも聞く。

 江戸時代から近代までは、お戒名が極楽行きを保証する「免罪符」のように思われていたようであるが、「寺に佛不在、教会に神不在」と言われる近年では、その効力も薄れてきているのだろうか。 2012年4月8日に発表された読売新聞による調査では、「戒名必要ない56%、葬式簡素派9割」という。

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